暮らしの教会手帖 F.Vianne
またまた子どもの本について聞いて下さい。
《日あたりの悪い路地にも、子どもはいます。
路地の子どもも、夢をみます。
夢を見ながら、一番星へ行く貨物にのりこみます。
ただで、いちじくをたべるために、なげなわのけいこもします。
大名屋敷にねる子もいます。
でも、いつも……》
表題の児童書の前書きにこう記されています。作者安藤美紀夫は、京都産まれ京都育ちの童話作家です。40年以上前に小学生高学年以上向けに書かれました。舞台は、戦中、戦後の京都。今では国際観光都市として多くの人々を惹きつけている京都ですが、当時は今とは違ったでしょう。街の表と裏の顔、表通りの街人と、路地裏に暮らす人々の生活や行き様の違い。こども達の遊びや体験を通して、作者安藤は大人として、自分の思いや現実をくっきりと語っています。
前書きの最後に……とあるのは何故か。この作品の殆どに、子どもと〈嬉しがらせて泣かせて消える相手〉として大人が登場します。……はこれだと思います。それは嫌悪すべきものなのに自分の中の何かと重なって、深く心に残ります。
作者安藤は、京都大学でイタリア文学を学び、北海道で高校教師となりました。その時代に「きんいろつののしか」「ポイヤウンベ物語」などを書きました。いずれも名作と言われています。ひょんな事で顔見知りになった安藤さんは、関西訛りの、何所にでもいる普通のおじさんでした。この人のどこからあんな作品が産まれるのかしら?!と思いました。
さて私が何を言いたいのかと思われるでしょう!
最近、ユニセフのアピール広告をテレビで見ていて、どこか違和感を覚えてしまう私がいます。経済援助を求めて貧困の現実をストレ−トに伝えようとする意図は解っていても、何故か辛い悲しみだけが心に沈殿してしまうのです。無力感が先立つのです。どんな人が何を思ってこの映像を創っているのでしよう。
そんな時、この古い本の事を思い出しました。(貧しさの象徴の)路地に住む子もたち夢も遊びも工夫も、結果は、大人に騙されたり、いわれない差別を受けたりなどばかりですが…。読後に、澱のようなやるせなさは不思議と残りません。そこが作者の優しさであり、イマジネーションの豊かさなのでしょう。「でんでんむしの競馬」というタイトルそれ自身が、ゆったり、それでいて子どもらしさを醸し出していると思いませんか。
子どもを見る眼差しを、大人が少し変えたら、何かが変わると思いませんか?
あなたも、是非読んでみてください。
「でんでんむしの競馬」を。