信徒の召命と使命について(前)

小教区からの出発 岩崎章次
教会法511515条(注一)に基づき、20161月から、岡田武夫大司教から委嘱されていた東京教区宣教司牧評議会評議員の任務が、期限の201712月を以て解かれました。時を同じくして岡田大司教が75歳での定年によって引退されたこともあって、もはや再任されることもないだろうと内心安堵していました。

顧みれば、1967815日に受洗してから50年。198691日から1999219日までの12年と6か月の間を、中央協議会の機構改革を受けての解消に到るまで、日本カトリック司教協議会・信徒使徒職委員会委員を、白柳誠一大司教(後、枢機卿)、島本要大司教、濱尾文郎司教(後、枢機卿。教皇庁移住・移動司牧評議会議長)の3名の日本カトリック司教協議会会長から委嘱され、島本要司教(後、大司教)、平山高明司教の2名の信徒使徒職委員会委員長にお仕えしてきました。他にも、正義と平和協議会では死刑制度・冤罪(主として「袴田事件」)を問う分科会にも顔を出していました。いま、当時の『カトリック新聞』や『中央協議会会報』を読み返すたびに、会社勤めの傍ら、まあよく活動したものだと、われながら驚くばかりです。聖霊の導きと後押しがあったがゆえでの事と信じてやみません。

そんな訳で、東京教区宣教司牧評議会評議員の解任を機に、小教区を含めて一切の任務から離れ、ゆっくり聖書の勉強をしたり、主日はあちこちの教会を訪ね、ミサに与かりがてら、それぞれの教会がどのような典礼を行っているのか、司祭はどのような説教をしているのか、組織はどのような構成で運営されているのか等々を見聞して廻ろうかなどと考えていました。

そうこう思っているところへ、年の瀬も押し詰まった1227日、教区本部事務局長・高木賢一師から「菊地大司教からのお願いがあります。菊地大司教としては、宣教司牧評議会を初めとする諸委員会の方々には、1年間だけ継続して、委員を担って頂きたいとのことです」というメールが舞い込んで来ました。心に描いていた解任後の青写真が少し変わってくるかもしれませんが、身に余る光栄と思い快諾しました。神様はなかなか休ませてはくれません。

113日、教区本部の会議室で菊地大司教による第1回目の宣教司牧評議会が、高木事務局長の司会で開かれました。冒頭、22名の信徒と2名の司祭と2名の奉献生活者からなるメンバー(注二)が、若干の欠席者を除いて、自己紹介を兼ねてそれぞれの在籍する教会(修道会)と宣教協力体名を述べました。その都度、菊地大司教が卓上に置いた地図で高木事務局長から場所を確認されておられるのが印象的でした。

その後、菊地大司教から、1216日に着座してまだ1か月に満たない、との挨拶に続き、「司牧評議会とは第2バチカン公会議と教会法に則り、各教区の宣教司牧活動について、信徒・奉献生活者・司祭等さまざまな立場からの意見を聞き、それを反映することを目的としている」との説明がありました。そして、自らの司教職としてのモットーは新潟の時と同じく「多様性における一致」とした、「それは、さまざまな文化や言葉の違いを乗り越えて、多様性の中に一致しながら、福音を証しする。一人ひとり異なっている私たちは、その多様性の中に生かされながら、キリストという一つの体にあって結ばれ、キリストの体において一致していると信じているからです」と着座式での挨拶と同じ言葉を繰り返し述べられました。続いて、当面の目標として、「私たちは皆、イエスとの個人的な出会いを持っている。そして、その出会いを基にして、それぞれがそれぞれの場で活動している。その活動を自分だけのものではなく、共有できるものはネットワーク化して、地域的共同体としての小教区を越えた、教会全体へ向かってのものにしたい。また、生涯学習が必要である。そのためにはリーダーとなる信徒を養成しなければならない」といった趣旨の思いが述べられました。

私はその思いを伺い、その趣旨を私なりに把握しながら、信徒使徒職委員会での経験が何らかの形で活かせるのではないかと思いました。

ここで、信徒使徒職委員会について触れておきたいと思います。その歩みはいみじくも「信徒使徒職活動の流れ」そのものであるからです。信徒使徒職委員会秘書・佐無田竧氏(当時、雙葉学園教諭)が199810月に『カトリック新聞』に2回に亙って書かれた「第2バチカン公会議後の信徒使徒職委員会の歩み」に多く拠りながら記します。

   ★

1968-1974

信徒使徒職司教委員会が1968年に日本カトリック司教協議会の中に、第2バチカン公会議の『信徒使徒職に関する教令』(注三)に基づいてつくられました。当初は、初代委員長・富沢孝彦司教(札幌教区長)のもとに「宣教」と「信徒」に関することは何でも取り扱われました。

 1969年に第1回信徒使徒職推進全国会議が開かれ、あらゆる分野での使徒職について熱心に討議し、信徒の使徒職について正しく理解することを目標としました。その結果、教令に基づいて、多くの教区や小教区に、信徒の種々の活動団体(注四)や事業の連絡・調整のために司祭・修道者・信徒からなる信徒使徒職協議会(信徒協)が設置されるようになりました。そして70年の第2回信徒使徒職推進全国会議では、富沢委員長は「社会を福音化する任務はひとえに信徒の双肩にかかっている」と、日本の教会にとって信徒の使徒職の推進が急務であることを示されました。

1974-1980

濱尾文郎司教(横浜教区長)が委員長に就任され、委員会の業務内容が①個人及び団体による信徒使徒職活動の振興策の研究、②教区・管区レベルでの信徒協との交流、③活動団体との交流、③使徒座の信徒評議会及び海外の信徒使徒職組織との連絡・交流、というふうに明文化されました。また、『現代に生きる信仰生活によるあかしシリーズ』というリーフレットを出し、使徒職活動は、信徒なら誰でも出来る、信徒だから出来る、ということを理解してもらおうとの努力がなされました。さらに、75年に教皇パウロ6世(在位1963-78)が第2バチカン公会議(1962-6510周年を記念して、使徒的勧告(注五)『福音宣教』を公布されました。これは委員会の方向性をいっそう明確にするものでした。

1980-1992

島本要司教(浦和教区長)が委員長に就任され、司教団から委員会に、宣教の拠点である小教区が宣教的共同体になるための奉仕に尽力して欲しい、との要請がありました。岩崎章次委員が、教区や活動団体で働く、信徒のリーダーを対象とした機関紙『信徒』を創刊したのもそれへの応えの一つでした。島本委員長は、

教皇ヨハネ・パウロ2世(在位1978-2005)が次々と出された『女性の尊厳と使命』、『救い主の使命』などの回勅(注六)や使徒的勧告を、邦訳される前に委員会で解説してくださり、先んじて考える機会を与えてくださいました。とりわけ『信徒の召命と使命』は、信徒の使徒職を促すものとして、その重要性を指摘されました。教皇庁信徒評議会(会長・ピロニオ枢機卿)の意向を受けて、FABCFederation of Asian Bishops’ Conferences アジア司教協議会連盟)のもと、台湾のティ・カン大司教の提案によって、1986年に台北で「第1回東アジア信徒交流の集い」が開催され、1989年には、韓国と台湾の信徒代表らを長崎大司教区に、香港とマカオの信徒代表らを大阪大司教区に迎え、東京大司教区で合流し、駐日ローマ教皇庁大使・カル大司教の挨拶を以て、1週間に亙っての「第2回東アジア信徒交流の集い」がもたれ、総勢80名を超えるメンバーが、研修を通じて学び、かつ親睦を深めました。また、全国的には、1987年に「開かれた教会を目ざして」の課題で、総勢275名の代表からなる参加者を以て「第1回福音宣教推進全国会議」が4日間に亙って京都で開催されました。この会議は、第2バチカン公会議の精神に基づいて、日本の社会において福音宣教を推進するために企画されたものでした。

1992-1998

平山高明司教(大分教区長)が委員長に就任され、平山委員長はアジアの信徒との連帯をさらに深めること、使徒職活動において内的生活(霊性)にも細心の注意を払うことの二つを強調されました。1992年に韓国のスゥオンで第3回の、1996年にマカオで第4回の「東アジア信徒交流の集い」が開催されました。さらに、199494日から9日の6日間に亙って韓国のスゥオンで、教皇庁信徒評議会、FABC信徒局、韓国平信徒使徒職協議会の共催で、インド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカ、インドネシア、タイ、フィリピン、シンガポール、香港、マカオ、台湾、韓国、日本の14ヵ国からの60名の代表が集り、「社会教説(注七)の実践を通しての教会の使命への信徒の参加」を課題として、「第1回全アジア信徒交流会」が開催されました。この時に、「分かち合い」の方法として採用されたのが、「ASIPA(アシパ)」(注八)です。委員会は、FABCが推進しているこの「ASIPA」が信徒使徒職の推進のために大きな力を発揮することを願い、その普及に力を注ぎました。また、全国的には1993年に「家庭」を課題として、総勢229名の代表からなる参加者を以て「第2回福音宣教推進全国会議」が4日間に亙って長崎で開催されました。

1999219

中央協議会の機構改革により、信徒使徒職委員会は、事務的業務を企画推進部に移行し、解消されました。顧みれば、委員会は司教団からの、「すべての信徒が使徒職に召命されていることを自覚するとともに、小教区を宣教的共同体にする」との要望を受け、それに応えるべく、信徒に関する回勅や使徒的勧告の研究、共同体づくりの方法などを研修し、それを各教区に伝えるための努力をしてきました。また、アジアの信徒との交流を通して、アジアの信徒たちの使徒職活動に関する情報を機関紙『信徒』を通じて日本の全教会に向かって伝えるための努力をしてきました。

   ★

これらの活動に対しての、日本カトリック司教協議会会長・島本要大司教からのお礼の言葉を以てこの稿を脱します。「貴委員会は、長年にわたり、日本の教会をより豊かにするために独自の使命を担って活動され、教会に属する私たち一人ひとりの上に多くの実りをもたらしてくださいました。これはひとえに貴委員会の活動にかかわってくださいました皆様方のお力によるものと感謝しています。皆様方がもたらしてくださったご功績は、さらに光を放って日本の教会の礎となるものと確信いたします。衷心より感謝申し上げます

☆次号では、第2バチカン公会議公文書『教会憲章』第4章「信徒について」及び『信徒使徒職に関する教令』から稿を起こし、聖ヨハネ・パウロ2世教皇の使徒的勧告『CHRISTIFIDELES LAICI』(邦訳『信徒の召命と使命』に基づき、さらに、コンガール枢機卿(注九)の「信徒神学」にも触れながら、私たち信徒の召命と使命について述べたいと思っています。

(注一)教会法511515条 511条 各教区において、司牧的事情により必要と認められた場合、司牧評議会が設置されなければならない。この評議会は、司教の権威のもとに、教区における司牧活動に関する事柄を研究・検討し、それについての実際的な結論を提示することをその目的とする。512条 ①司牧評議会は、カトリック教会と完全な交わりの中にいるキリスト信者すなわち聖職者、奉献生活の会員及び特に信徒によって構成される。その構成員は教区司教が定めた方法によって選出される。②司牧評議会に任命されるキリスト信者は、教区を構成する神の民全体を代表すべく教区内の諸地域、社会的身分、及び職業の多様性並びに個人又は団体として、使徒職上有している役割を考慮して、選出されなければならない。③堅固な信仰、品行方正及び賢明さにおいて優れた信者でなければ司牧評議会の構成員として選出してはならない。513条 ①司牧評議会は、司教が制定した規則の規定によって、一定の期間設置される。②司教座空位のとき、司教評議会は消滅する。514条 ①参考投票権のみを有する司牧評議会を使徒職の必要に応じて召集し、かつこれを主宰するのは司教のみの権限である。評議会で審議された事柄を公布するのは、司教のみの権限である。②司牧評議会は、少なくとも年に一度召集されなければならない。

(注二)22名の信徒と2名の司祭と2名の奉献生活者からなるメンバー 『東京大司教区宣教司牧評議会規約』・構成 評議員は信徒・修道者・司祭から構成される。信徒の評議員は22の宣教協力体から各1名ずつ推薦され、大司教がこれを任命する。これに教区司教指名の修道者・司祭など若干名を加えて全員で25名程度とする。

(注三)教令(Decretum) 教皇または公会議が公布するものや、地方教会の司教団がだすものなどがある。

(注四)活動団体 司教協議会から承認されている全国規模での使徒的活動を行い、カトリック信仰を基盤としてカトリック信者が運営する団体を指す。聖ビンセンシオ・ア・パウロ会、レジオマリエ、JOC(カトリック青年労働者連盟)など。

(注五)使徒的勧告(Epistola Encyclica)教皇が、ある国やある地方の司教や司祭や信徒にあてた司牧書簡。

(注六)回勅(Littera Encyclica) 教皇が全教会あてに出す司牧書簡。内容は、一般的にいえば、教義、信仰、道徳に関するもの。

(注七)社会教説 社会問題に関する教会の教え。レオ13世『レールム・ノヴァルム』1891、ヨハネ23世『マーテル・エト・マジストラ』1961、パウロ6世『ポプロール・プログレシオ』1967、ヨハネ・パウロ2世『チェンテジムス・アンヌス』1991など。

(注八)ASIPA Asian Integral Pastora Approach (アジアの総合的司牧アプローチ) FABC信徒局が開発したプログラム。南アフリカ共和国のルムコ研究所が、第2バチカン公会議の精神に基づき『カトリック教会のカテキズム』の方針にしたがって生み出した生涯養成への方法論を、アジアの政治的、 社会的、文化的背景に適するようにしたもの。

(注九)コンガール(1904-1995) フランスの神学者、ドミニコ会士。エキュメニズム(教会一致促進運動)に献身する。第2バチカン公会議では主導的役割を果たした。『わたしは聖霊を信じる』など著書多数。犬養道子の師でもある。