Vocation is Calling for Everyone      召命とは、呼びかけに応えること。

「青梅教会からまた召命が出ましたね。青梅教会のおめぐみはすごいですね! ところでシスター、そもそも召命って何でしょう?」とまくしたてる私を、一瞬きょとんした表情で見つめてから、穏やかな微笑みで返してくれたシスター。いかにも頭でっかちな平信徒が陥りがちな愚かさが見透かされたかのようでした。

「修道召命や司祭召命だけが召命じゃないでしょう。みんなそれぞれ召命のたまものをもって集められてくるわけだから。すでにあるものでしょう、召命は」

シスターの言うとおりです。「召命」はいつでも誰にでもある。それも頭では分かっているつもり。だけど、ついつい自分のような分際には到底及びもつかない偉業のように召命を捉えがちです。どうしてでしょう? 日本語の問題かもしれません。召命って、字面だけ見ればつくづく重たい漢字だなぁと思えます。召命って英語では何ていうかというと、CallingかVocationがそれに相当するようです。Callingなんて中学生でもわかる英語です。「呼ぶこと」ですね。Vocationもラテン語由来の言葉でもともとの意味がCallingです。召命なる字は自分には身に余る程有り難すぎるお言葉ですが、Callingと言われれば、たしかに、羊飼いの呼び声を聞き分ける羊でありたいとつねづね私も願っているでしょう。

Callingがそうであるように召命もつねに誰にでもあるものにちがいないのですが、言葉の印象の差異まで無視する必要はないでしょう。そこに何か啓示が隠されているはずです。Callingと召命はやはり同じではないでしょう。前者が耳を澄まして軽やかに飛び回る様を連想させるなら、後者からは目を閉じて身じろぎもしない腹のすわった状態が思い浮かびます。Calling=呼びかけがきっかけであるなら、召命とは、そのひとつの結果であるような気がします。Callingがあって召命がある。「呼びかけに応えて生涯を委ねる選択をした特定の状態」と、あらためて召命を定義すれば少しはしっくり来るのではないでしょうか。Vocational Callingという合わせ技のような表現もありますが、それがまさしくそういう「…特定の状態」という解釈になるようです。

召命が「呼びかけに応えて生涯を委ねる選択をした特定の状態」であると言われれば、誓願を立てることなど想像もできなかった平信徒の私にもひとつだけ身に覚えがあります。結婚です。「結婚しなさい」という神様の呼びかけに命懸けで応えた結果が私の結婚であります。急に威張らなくても、それがカトリックの結婚の秘跡です。結婚は召命です。否、結婚こそが召命です。シスターになる召命を得て晴れて復活祭の日に旅立った丸山暁子さんも、教会と結婚する決意をした<花嫁>にほかならなかったでしょう。

シスター、あなたと同じように私にも召命がありました。その召命が実を結んで、家庭が育まれました。
お祈りください。家庭が教会であるように。
(広報部 I)

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